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44件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2016-03-10 第190回国会 参議院 文教科学委員会 第2号

文部科学省には、森有礼初代文部大臣自警の書が掛かっております。初代文部大臣は、文部行政重要性とともに、最後に、「その職に死するの精神覚悟せるを要す」と結んでいるわけであります。  改めて、現代的な意味として文科省にその覚悟があるのか、意識をどう変えようとしているのか、文科省の御見解をお聞かせください。

赤池誠章

2012-06-07 第180回国会 衆議院 憲法審査会 第7号

もう一つは、大日本帝国憲法制定時における、伊藤博文と、初代文部大臣として有名な森有礼の論争でございます。  明治憲法第二章の臣民権利義務に対して、森有礼は、臣民は、天皇に対して、責任は持っているが権利などは持っていないとして、臣民権利という文言ではなく、臣民の分際とすべきと主張したそうでございます。

橘幸信

2007-05-17 第166回国会 衆議院 教育再生に関する特別委員会 第13号

だから、採用の際にも、教員の免許を持っている人あるいは特別免許的な扱いのできる人、こういう人をやはり考えて採用をするとか、そういうことも含めてやっていく必要があると思いますし、何よりも、私の部屋にも書いてあるんですが、森有礼さんが、文部省の本来の責務はということ、これは国に教育権のすべてが集中していた明治に書かれたものですから、このとおりやるというわけにはもちろんいかないんですけれども、ここに書いてある

伊吹文明

2006-11-01 第165回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

そして、当時、公議所議事取調掛森有礼は、御国体の儀に付問題四条を建議いたしております。  といいますのも、その中は、第一は封建と郡県が併存をしているのが現状であるということで、将来の国是をどうするのか。また、封建にするのか、郡県にするのか、その場合の理非得失は何か、まさにメリット、デメリットの問題であります。そしてまた、第三には、封建にする場合にはどのような措置が与えられるか。

松浪健太

2006-11-01 第165回国会 衆議院 内閣委員会 第4号

先ほど来、副大臣も長州の出身だということで、廃藩置県の話も出ているわけでありますけれども、さきの森有礼の建議のように、実際、廃藩置県を行う際にも、公議所の方で八つも議案が出たそうですね。その八議案のうちの、実質的な郡県制という、まさに道州制に結びつくものは、その意見の中の全体の五分の一にも満たなかったそうであります。  

松浪健太

2006-05-30 第164回国会 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第5号

それに対して、文部卿森有礼教育という言葉を使われました。さらに、福沢諭吉は、いや、それだけではない、人間の中に内在する力等々を啓発することもまた教育の大事な仕事であると。ちなみに、エデュケーションという言葉のラテン語の原語はエデュセール、引き出すという意味でございますので、福沢諭吉はそのように言葉を追加いたしました。  

鳥居泰彦

2004-05-19 第159回国会 衆議院 文部科学委員会 第20号

実は、文部省初代文部大臣でありました森有礼初代文部大臣の「自警」というのがありますが、あれを読んでみますと、最後のところに、死ぬ覚悟文部行政に取り組め、こう書いてあるんですね。やはりそういう精神、それは命の大事さとかなんとか言えばまた別な議論になってしまいますけれども、やはりそういう思いというのがこれまで日本武士道の中に流れておった。

河村建夫

2003-03-27 第156回国会 参議院 文教科学委員会 第5号

そういう中で、これはこの前申し上げたかもしれないですけれども、初代文部大臣森有礼さんが三重県にやってこられまして、そして郡長あるいは県議その他の人を集めて演説をしておられるんです。演説というか、その当時は演説と言わずに大臣として教訓を垂れるというかな、訓示を垂れるということですね。  

山本正和

2003-03-20 第156回国会 参議院 文教科学委員会 第2号

そこで、森有礼さん、初代文部卿ですね。文部大臣初代文部大臣です。これ、文部省に対して自分が自ら、「自警」、自ら自分を戒める、そこにこういうことが書いてある。「文部省ハ全国教育学問ニ関スル行政大権ヲ有シテ」、行政大権を有している。「其任スル所責随テ至重ナリ」と。大変重たい。

山本正和

2003-03-20 第156回国会 参議院 文教科学委員会 第2号

私も森有礼初代文部大臣がお書きになりました自警の書を、そのまま唯一私は自分部屋に飾ってございます。これは歴代大臣がそのようになさっていたからでもございます。日々あれを仰いでおります。そして、文部省の持っている仕事の重要さというものをしっかりと常に考えろ、そして事が成ったと思ってもそれで満足をするな、更に進め、更に図ってますますその任務を遂行せよ、そしてその職に死することを覚悟せよと。

遠山敦子

2003-02-13 第156回国会 衆議院 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第1号

エデュケーションを何という日本語にするかをめぐりまして、森有礼文部卿福沢諭吉との間に意見対立があったというふうに巷間言われておりますが、実際には意見対立ではなくて、二人は非常に仲のいい議論をしておりました。余計なことですが、森有礼の仲人が福沢諭吉でありましたので、二人は大変仲がよかったと思います。  森有礼は、このエデュケーションの訳語として教育という言葉を最初から使っておりました。

鳥居泰彦

2002-06-28 第154回国会 衆議院 武力攻撃事態への対処に関する特別委員会 第16号

実は、これは日本国憲法憲法学の上で立憲主義というふうに呼ばれてきたものでありまして、これは、大日本帝国憲法をつくるときにその憲法制定中心人物でありました当時の枢密院議長伊藤博文が、後で文部大臣になる森有礼質問に対して答えている中で、このように憲法というものは国の権限を縛るためにつくるものなんだ、それでなければ憲法をつくる意味はないのだということを伊藤博文でさえもわかっているわけであります。

小野坂弘

2002-04-25 第154回国会 参議院 文教科学委員会 第8号

今、大学改革が相当なエネルギーで進められておりますけれども、これ振り返ってみますと、日本帝国大学令というのが出ましたのが一八八五年、明治十八年、これ森有礼文部大臣のときに帝国大学というものができました。そして、一九四九年、昭和二十四年でございますけれども、国立学校設置法というのができまして、帝国大学でいろんな帝国大学東京帝国大学とかできまして、二十四年に帝国が外れて東京大学になったんだと。

鈴木寛

2002-04-11 第154回国会 衆議院 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第3号

これはもう明治憲法制定のときから、伊藤博文森有礼あたりから、森有礼はちょっと例外かもしれませんが、憲法制定の要諦は義務を定めることにはなくして権利を保障するにありということです。権利を保障するということが国家責務を明らかにすること。責務主体国家でありまして、国民義務主体であるというのは憲法の常道ではありません。  が、最小限、国民義務について言及をするということは必要かもしれません。

阪本昌成

2001-06-28 第151回国会 参議院 文教科学委員会 第16号

山本正和君 そこで、これはちょっと蛇足かもしれませんが、我が国は、明治憲法ができてから、いわゆる文部大臣、初めは文部卿と言ったんですが、ずっと続きまして、文部大臣になったのが明治十八年、森有礼初代遠山大臣は調べてみたら百二十六代。有馬先生が百二十二代。中曽根先生、それぞれ歴代大臣がずっとお見えになりますが、それぞれの中で一生懸命頑張っておられたと私は思うんです。  

山本正和

2001-03-15 第151回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

明治十九年ですか、文部大臣森有礼大学令ほかいろんな制度をつくりまして、日本学校制度をつくっていくというわけでございます。それは現在のような六三三四制での単線のものではありませんで、いろいろな組み合わせの複線のシステムであったわけでございますし、そして、初等中等教育においてはいわゆる忠君愛国を徹底的に教え込む。

冲永荘一

2000-11-09 第150回国会 衆議院 憲法調査会 第4号

これは、明治憲法のときの伊藤博文森有礼と論争している、そのとき既に伊藤博文の方が述べている、いわば憲法というもののスタートラインにある大前提なのですね。日本憲法は、日本国家日本の公権力に対して、戦争はしてはいけない、軍隊を持ってはいけない、そういう限界を設けているわけです。ですから、日本政府はその限界の中でしか動くことができない、こういうことであって、もう一点ありましたね。

小林武